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lets_thinkメーリングリストの公開
はじめに
lets_thinkメーリングリストを全面公開します。公開の直接のきっかけは、2003年9月14日に始まる攝津正氏による「一斉同報メール」(注1)なるものですが、これはあくまできっかけであって、主たる理由は、宮地剛氏が以下の「lets_thinkメーリングリスト公開にあたって」で書かれているものです。端的に言えばlets_thinkメーリングリストを「裏ML=策謀」と断定することで、地域通貨Qそのものを毀損しようとする一部のひとたちの言動に対する、抗議の一環としてメーリングリストそのものの全面公開を行なうということです。宮地剛氏の文章と、それに続く簡単な分析を、まずお読みいただきたい。公開メーリングリストへのリンクは末尾にあります。
メーリングリストの公開にあたっての文章は、それぞれ宮地剛、穂積一平が分担して書きました。またメーリングリストの公開にあたっての処理は穂積が行ないました。それぞれの分担作業後、宮地剛、穂積一平が相互に加筆・チェック等を行い、最終的に穂積が編集しました。メーリングリスト参加者への事前の了承等の連絡もこの2人で行ないました。
ここで簡略にこのlets_thinkメーリングリストに対する、公開にあたっての作業等を行なった者、宮地剛、穂積一平のスタンスを述べておきます。内容や詳細はこれにつづく文章にあたってください。
もともと、宮地剛氏は積極的公開論者でした。これは参加者のひとりである逵健志氏も同様でした。実際のところ昨年の11月か12月頃、逵氏からか宮地氏からか記憶が定かではありませんが、そういう話題もありました。いっぽう、わたしは消極的非公開論者でした。他の参加者は特段なにも主張していなかったように思います。積極的に公開しようと主張するひとたちの論拠は、
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ネット上ではこういったMLに限らず情報が漏れるのは仕方がない。つまり私的だからクローズドだというのは一種の幻想。(この見解が一般的に通用するかどうか、わたしにはわかりません。すくなくとも昨年のNAM,Qの状況下ではこの主張は一定の現実味を持っていたとは言えますが)。
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「裏ML」というような話が出た段階以降、断片的に漏洩されるよりいっそのこと全部だしてしまったほうがいい。それでどう考えるかは読む人に任せざるをえないが、きちんと読んでくれるひともいるだろう。
いずれの理由もまっとうなものですが、わたしは当時次のように考えていました。全面公開したところで、読む者が部分的な漏洩と第三者による「暗示」以上の「読解」を示すという保証はどこにもないし、誤読、曲解、デマへの利用等はいっそう激しくなるかもしれない。状況によっては全面公開が火に油をそそぐだけというケースもありうる。結局のところ積極的公開論者といえども、公開のための処理上の手間をとらない、あるいはとれなかった以上、わたしの考えの実質的な追認をしただけで、ずるずると放置しておいた、というのが実際のところです。(もっとも以上のように明確に主張したという記憶はありません。漠然と問題を先送りせざるをえなかったというところです)。
もうひとつは、メールの過去ログといったものは、単に「公開しました、さあ読んでください」とアドレスをオープンにしたからといってどうなるものでもありません。プログラムなどの技術情報を盛り込んだメーリングリストなら、なんの注釈もつけずに公開して検索利用することで、プログラムやシステム関係の問題解決の糸口を見つけることができます。これは料理のレシピや百科事典と同じで役立つか役立たないかという話にすぎません。しかし、特別の目的があろうがなかろうが、意見や感想等々を述べているメーリングリストを公開するときに「さあ、読んでください」というのは、あまりに杜撰な公開方法ではないか、という懸念がありました。公開する者は、別の解釈がありうるという留保をつけた上でなお、一定の状況説明、解説等々をつけるべきで、単に公開したのでは、公開の意味そのものが失われる恐れがあるでしょう。(注2)
lets_thinkメーリングリスト「裏ML=謀議説」というのは、前述の攝津正氏の一斉同報メールによって初めて唱えられたものではありません。このあたりの経緯は注釈で解説を加えていますが、昨年12月にQユーザML上で唱えられ、それに対する反論も同じユーザMLでわたしも行ないました。しかし謀議説の提唱者はつぎつぎとQを退会し、最終的にはNAMも解散してしまって、わたしの反論等に対する異論も出されないままに終わりました。この時点で問題は終わってしまったというのがわたしの認識でしたが、どうもそうではないらしく、攝津正氏によって再度問題提起が行なわれたということになります。やり方は不穏当ですが善意に解釈すればそういうことです。
ただ、正直を言えば、こうして公開したからといって、異論を提出したり反論したりするひとがあらわれる、という期待はありません。おそらく公開しても、かつて「謀議説」を唱えたひとたちがそうであったように、なんとなく曖昧な文句や注文を言って、おしまいという気がします。あるいは再び「一斉同報メール」なるものが発生しないともかぎりませんが、メールで言えることなどはたかがしれているので、反論や立証というよりも、アジテーションにすぎないでしょう。「2ちゃんねる」等でちょっとは話題になるとしても同じレベルです。
しかし、ことがQの内部だけの議論ですめばいいのですが、Q会員でない摂津正氏がアピールする方法として選んだのが「一斉同報メール」なるもので、だれにメールが届いているのかわからない以上、こういうやり方で公開せざるをえないと考えました。
この「lets_thinkメーリングリスト公開版」は、本編、いわば総論的な説明文と注釈、およびメーリングリスト本体から構成されます。また、これとは別に、メーリングリストの参加者の感想・意見もいただきましたので、以下にリンクを追記します。
- 木場聡子氏の感想・意見
- 西部忠氏の感想・意見
メーリングリスト本体のメールに対しては、以下のような処理をしています。
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メール発信者の発言内の固有名詞(人名にかぎらず)は一部例外を除き、基本的に「**」という伏字に変更しました。一部例外とは、伏せ字にしてしまうと、そもそも文脈がたどれない可能性のあるものです。
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メールアドレスやハンドルネームなど、それ以外で固有名詞に相当すると考えられるものも適時、削除等の処理をしました。
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メーリングリスト内の一部のメールは、ブラウザによっては「文字化け」が発生するようです。内容を読むにはブラウザのエンコード指定をそのつど変更する必要があります。この点については、今後暫時、修正していく予定です。
- lets_thinkメーリングリスト公開にあたって
- lets_thinkメーリングリストの時系列分析
- メーリングリストへのリンクは末尾にあります。
lets_thinkメーリングリストの公開にあたって
本ML(lets-think)を全面的に公開するにあたって以下のことを、みなさんにお伝えしたいと思います。
本MLは、本来、2002年8月29日に開かれたQ管理運営委員会の公式の京都オフ会直後に始められた何人かの私信メールのやりとりが発展してMLとなった(注3)もので、公開することを前提としては書かれていないものです。したがって、本MLが、Q管理運営委員会の実際の運営にかかわるような協議や話し合いの場ではなく、あくまで参加者の意見交換を目的としたプライベートな場である、という位置づけは、今までも今後も変わることはありません。
プライベートなMLである「lets-think」はしかし、何者かによって外部に漏洩され、NAMによる一方的なQへの介入の渦中で、当時のNAM副代表でありQ監査委員であった弁護士の柳原敏夫氏(現在、NAM資産管理委員会監査委員(注4)、NAM、Qの活動においては朽木水というペンネームを使用)のQユーザMLへの投稿により「裏ML」というレッテルを貼られてしまいました。柳原敏夫氏がおこなった「裏ML」「謀議」「非人間的」というレッテル貼りは、当時NAM内で柄谷行人氏によって行われていたのと同様(注5)に、当時Q管理運営委員会代表であった西部忠氏の人格評価を不当に貶める為の本MLの政治的道具化であり、本MLの実際の内容を歪曲して伝えることで成立するイメージ操作(注6)であり、その陰湿な政治手法に対しては憤りを感じざるをえません。
しかし、そのような手法によってレッテルを貼られてしまった本MLは、そこであたかも参加者による「反NAM」の「謀議」がなされていた「非人間的な」「裏ML」であるかのようなイメージを、本MLを読むことのできないQユーザや外部の人々に植え付けてしまったのも事実だといえるでしょう。
先日来の摂津正氏によるQ糾弾(注7)も、その端緒となったのは、NAMの解散のありかたやNAM資産管理委員会の定款への疑義、あるいは「NAMの死」「Qの死」の意味を問い始めた摂津正氏に本MLが部分的に漏洩され、それを読んだ摂津氏の、宮地・穂積の発言が「NAMを裏切った」という個人的な怒りに駆られてのものだと思います。
ここで重要なのは、本MLの漏洩がつねに、意図的に「部分的に行われている」ということです。なぜなら摂津氏のQ糾弾メールにおける本MLのメールからの引用に拠った文章が示すように、意図的な部分的漏洩は、本MLに投稿されたメールが形成する全体的な文脈を寸断し、柳原敏夫氏がレッテル貼りし形成した「裏ML=反NAMの策謀」という架空の文脈のなかで、本MLのメールを読むことを、読み手に強いるからです。そこでは、言葉は、あらかじめ設定されている「裏ML=反NAMの謀議」という文脈内で解釈されてしまうのです。そしてそのように読まれた言葉は、「裏ML=反NAMの謀議」という文脈を反復するように書き直され、本MLを部分的にさえ読むことのできない人々の間に「裏ML=反NAMの謀議」というイメージ(注8)を拡大させていくのです。
本MLは現在、このような政治的=言語的状況下に置かれていると、私は考えます。
このような状況下において、本MLを「これは私的なMLである」という理由によって公開しないでおくことは、本MLの部分的な漏洩を今後も許し、その結果、本MLにおいて参加者たちが「反NAM」の謀議を行っていたという事実に反するイメージに基づいた根拠を、Qを不当に攻撃しようと意図する人間に与え続けることに他なりません。言い換えれば、公開しないことが、上記のような政治的=言語的状況を是認することにつながってしまっています。そしてそのことは、Qの運営や活動とは本来無関係な私的なMLにすぎない本MLによって、Qの運営や活動に対して甚だしい悪い影響を与えることになります。
このようなMLにまつわる政治的=言語的状況を変えていくには、私的MLである本MLをあえて公開し、そこで書かれていたメールを「言葉のままに」読んでもらうしかない、と私たちは考えました。そしてここに、私たちは本MLを公開することにいたしました。
もちろん、これらのメールを精確に読んでいただくためには、これらのメールが書かれた状況を知っておいていただく必要があります。なぜ宮地はあのような言葉を書いたのか、書かねばならなかったのか、なぜ穂積氏は、西部氏は…。本MLのメールを真の意味で「言葉のままに」読んでいただくには、当時、このMLに参加していた者たちの怒りや絶望、悲しみやためらいなどを感じ取っていただく必要があるともいえるでしょう。つまり、本MLの言葉は単なる記号ではなく、生きている人間が抱かざるをえなかったさまざまな思いや思考によってつむぎ出されたものであり、政治的言語=レッテル貼りという手法によって政治的な道具として、断じて使用されるべきものではない、ということを、みなさんにも理解していただきたいと思います。
- (注1)攝津正氏による「一斉同報メール」
攝津正氏(元NAM会員、元Q管理運営委員会委員、元Q会員)は、同氏のいう一斉同報メールなるものを、2003年9月14日以降、複数回、不特定多数のメールアドレス、およびQ以外の複数の地域通貨を運営する団体のメーリングリストに宛てて発信し、Qの解散等を喧伝しました。
以下、一斉同報メール:
また、同氏の主張は、以下のサイト等で見ることができます。
なお、この「一斉同報メール」という手法は不当なものです。メール発信にあたってメールアドレスをどのように取得していようとも、メール受信者の受信可否を問うことなく一方的に発信されるメールで、これはウィルスなどを添付ファイルとするメール発信の手法とまったく同じです。受信者は内容を確かめることなく、削除するのが、一番常識的なやり方です。執拗であれば、プロバイダに連絡をして該当のアドレスから発信されるメールすべてをフィルタにかけてもらう、発信元のサーバー管理会社に抗議をする、といったことは、ウィルスでPCの内容が不用意に破壊される可能性を考えれば、やってあたりまえというべきでしょう。したがって今後は攝津正氏には、ぜひメールマガジン形式でやられることをお薦めします。
- (注2)単に公開したのでは、公開の意味そのものが失われる恐れがあるでしょう。
(注1)にあるような摂津正氏の行為が勇気あるものであること、また動機が真摯なものであることを認めるのにやぶさかではありません。もうすこしまともな方法がないのかとは思いますが、同氏にとっては選択の余地のない手段だったのかもしれない。また、攝津正氏が密かに(あるいは公然と?)NAMの過去ログを集めたり、「私的に公開(?)」しているのも賞賛しこそすれ非難するものではありません。確かに、NAM資産管理委員会は、過去ログ等を維持・管理するだけであり、公開等の判断はできないと言っているし、過去ログがどのように流通しようとも関知しないとも言っています。(以下、攝津正氏が運営する掲示板「NAM資産管理委員会の定款を考える会」による。)
Re:田中正治委員長からの正式のお返事 - 攝津正 (管理者) No.149 2003/10/14 11:57
[ メール ]
From: "田中正治"
To: N・摂津正
Subject: NAM資産管理委員会・田中正治
Date: Tue, 14 Oct 2003 09:51:05 +0900
攝津 正様
NAM資産管理委員会代表・田中正治
ご返事が遅くなったことをお詫びいたします。
NAM資産管理委員会への攝津さんの要望(Date: Sat, 04 Oct 2003)
ー「最低限、「規約委員会」及び「抜本的改革委員会」「NAMとQに
関する特別委員会」、「Qは終わった」騒動前後以降のnam-log3に
入っていない「センター評議会」の完全な過去ログ」を(元)NAM会員
に開示する要望に関して、検討した結果、攝津さんの要望に対応して、行動すること
に、委員会としては、判断を留保せざるを得ません。
NAM資産管理委員会は、特定の要求にのみ対応してNAM資産
(過去ログを含む)の利用の是非を判断する主体になることはでき
ないのです。なぜなら、NAM資産管理委員会は、一定期間、NAM
の資産(過去ログを含む)を単に維持・管理する主体に過ぎないか
らです。
なお、元NAM会員が、個々人で保持しているNAM過去ログが
いかなる方法で流通され、使用されようと、NAM資産管理委員会
は、それに対して責任を持ったり、規制などをしたりする立場には
一切ありません。
田中正治氏の回答、掲示板(2003年10月14日)全文はこちら
しかし、NAM資産管理委員会の定款には、NAMの資産は4年後にNAMに準ずる団体に委譲されるが、過去ログ等はそのかぎりではないという記述もあります。
(解散)
第28条 この団体は、次に掲げる事由によって解散する。
(1) NAMの再建
(2) 4年以内にNAMが再建されない場合
(残余財産の処分)
第29条 解散後の残余財産は、次のものに帰属させるものとする。
(1) 前条1号の場合
再建されたNAM
(2) 前条2号
総会で協議の上決定した、NAM的な運動を行っている団体。但し、
NAMの会員名簿と過去ログは除く。
NAM資産管理委員会定款、掲示板(2003年8月28日)全文はこちら
すると、NAMの過去ログは宙に浮くように見えますが、これは過去ログの個々のメールの発言者にその権利が帰属すると解釈される可能性が大きい。個別のメールはその発言者の「著作物」として扱われ、NAMないしはそれに準ずる組織等が総体として公開したりできるものではなくなるでしょう。(とりあえず、ここでは、NAM資産管理委員会の代表田中正治氏の言葉を信用して、攝津正氏が発信する情報を利用させていただくことにします。)
上述のように考えると、攝津正氏は過去ログを単に集めるだけではなく、なんらかの「批評」行為にまでそれを高める必要があります。そうしなければ、氏の行為は実りのないものになる可能性が多々あるのではないでしょうか。
しかし、ひとつの懸念は、攝津正氏は2003年10月25日付けの154番の掲示板で以下のように書き込んでいたことです。
【重要】閉鎖・削除の提案 - 攝津正 (管理者) No.154 2003/10/25 22:36 NEW!
[ メール ]
この掲示板は、取り敢えずひとつの役割を終えたと思っています。
或る事情もあり(それは今は公けにはできません)、掲示板自体の削除も考えています。
ですから、必要なメッセージがありましたら、各自で保存をしてください。
或いは、出版計画などについては、別に掲示板を立ててそこで議論してください。
とりあえず、期限は一週間です。
早急な対応をお願いします。
(上記で全文)
これが、現在(2003年10月29日)は削除されて、和氣久明氏(NAM資産管理委員会運営委員)のレス(155番以降)が別のかたちで最新版として継続されています。154番は欠番になりました。もし、この欠番が、平和的にNAMの全過去ログが公開される「きざし」であれば、それはそれで言うことはないし、多くのNAMに関わったひとたちの期待もそこにあるでしょう。ぜひこのあたりの事情をつまびらかにしてほしい、と望むのは筆者だけでしょうか?
- (注3)私信メールのやりとりが発展してMLとなった
ここで「発展して」といっても、MLの冒頭の「MLつくっちゃいました。」というメールにあるように、参加者のひとりが私信のやりとりを通信の利便性を考慮してMLに組み入れてしまったというのが実態です。
- (注4)NAM資産管理委員会監査委員
この情報は攝津正氏が運営する掲示板「NAM資産管理委員会の定款を考える会」の最初の投稿によります。
NAM資産管理委員会定款、掲示板(2003年8月28日)全文はこちら
附則
1 この定款は、この団体の成立の日(2003年2月1日)から施行する。
2 この団体の設立当初の役員、運営委員及び監査委員は、次に掲
げる通りとする。
(1)代表
氏 名 田中正治
(2)副代表
氏 名 柄谷行人
(3)運営委員(実務担当)
氏 名 和氣久明
(4) 監査委員
氏 名 柳原敏夫(弁護士)
真船 昭(公認会計士)
NAM資産管理委員会
設立代表者 田中正治 印
ちなみに、解散後のNAMについて興味をお持ちの方は、以下のサイトをご覧ください。
フリーアソシエーション
- (注5)当時NAM内で柄谷行人氏によって行われていたのと同様
2002年11月末頃から12月にかけて、QユーザMLに以下のような投稿が相継ぎました。11月28日の投稿で、山住勝広氏(大阪教育大学助教授)は、
私どもの組織は、 Qの中で、会費に値するサーヴィスを受けられなかったので、会費
16,000円の返却をお願いしています。
山住勝広氏のQユーザMLへの投稿(2002年11月28日)全文はこちら
また、同日、関井光男氏(近畿大学国際人文科学研究所副所長、近畿大学文芸学部文学科教授)は、
契約の解除に当たって、Qの中で会費に値するサーヴィスを受けられなかったので、
会費2,000円の返却を要求します。即座に対処してください。対処しない場合は、告
訴します。
関井光男氏のQユーザMLへの投稿(2002年11月28日)全文はこちら
この後、「会費の返還を要求。さもなければ告訴する」という同種の文面のメールがQ管理運営委員会のinfoアドレスにも相継ぎました。これらは、以下の柄谷行人氏のNAMイベントでのメールに対応すると考えられます。ただし、前記山住勝広氏、関井光男氏のメールは、2002年11月28日のQユーザMLへの投稿であり、柄谷行人氏の下記のメールは2002年11月29日のNAMイベントへの投稿です。この日付の相違がなにを意味するのかは不明です。
Sent: Friday, November 29, 2002 1:14 PM
Subject: [nam-event] Q退会のためにー柄谷行人から
柄谷行人です。
近いうちに、NAMは、Qと絶縁することを表明します。しかし、NAM全体の改革が
進んでいるため、そのような表明が遅れています。一方、すぐにでもQをやめた
い、というNAM会員・賛助会員がかなりいます。私は責任を感じて、そのような
人たちのために、以下のような提案をします。
Qを退会するには、Qのサイトにあるアドレスをクリックして、Eメールを書き、
退会を通知するだけでよいのです。
なお、その際に、次のようにいうと、お金をとりかえすことができます。
「Qとの契約を解除します。直ちに会費を返却してください。さもなければ告訴
します。」
つまり、たんなる退会ではなく、契約を解除するのです。
(元NAM会員に配信されている過去ログ情報による)。
これに対して12月初頭に発足したQ管理運営委員会は、2003年1月中旬から会費の返還要求に対して、返還およびQ退会の処理を開始しました。Q管理運営委員会の見解は、本来会費は返還に応じる性質のものではないが、混乱を収拾するために特例的に当時の「会費返還・退会要求」に応じるというものでした。
ちなみに、会費返還退会者の人数は、約30人。総額約8万円です。
なお、12月11日付けの柄谷行人氏のNAMイベントに投稿されたメールにある、
3)、 また、私は、退会するさい、次のように書くと、お金をとりかえせると
書きました。「Qとの契約を解除します。直ちに会費を返却してください。さも
なければ告訴します。」 Q管理委員会の大勢は、返却を考えているようです
が、西部がひとり強硬に反対しているため、遅れています。
の「西部がひとり強硬に反対しているため」会費返却が遅れているというのは、虚偽です。西部忠氏は当時(2002年12月)のQ管理運営委員会のメーリングリスト内でそのような発言は行なっていません。実務作業が遅滞していたのは、11月以降の代表・副代表の不在に対して、2002年12月13日に、新たに代表・副代表の投票選出を行い、西部忠代表、逵健志、宮地剛副代表がようやく決定したところだからです。むしろ、西部忠氏は、12月25日付けで50万円の寄付をQに対して行なっています。
会計に関する報告も2002年12月31日に「01年9月〜02年12月25日現在の出納報告書」としてQユーザML上で行なわれています。筆者はこの出納報告書以外に、2002年8月京都オフ会以降のQ管理運営委員会内の意思決定と会計支出等の詳細な検討が必要だと考えており、今後、この面についても再度調査報告を予定しています。
- (注6)本MLの実際の内容を歪曲して伝えることで成立するイメージ操作
本MLは、その設立の経緯からも明らかなように、何か特定の目的(何らかの連名によるQハイブへの提案など)のために作られたものではなく、個々人の様々な不満、意見、感想、批判が述べられただけで、それを何らかの一致した見解に統一しようというような動きはまったく存在していません。だから、何らかの「謀議」が行われたということもありえません。「謀議」の存在を主張する者は、QハイブのMLのどのような意思決定がこのMLでの「謀議」によるのかを立証する責任があるはずです。
前述の柳原敏夫氏は、12月26日付の[q-project-user 1229]「 情報公開が意味するものについて――Qは二度死ななければならない――」において以下のようにQユーザ全員に向けて発言しています。
>「オフライン会議を開催してよかった」というのが登記人の一致した
>意見
のような京都オフ会議に参加した人たち(登記人の人たち、東京から参加した
人たち)を中心に、瀕死の重傷にあるQの改革をめざして、必死の努力が始ま
りました。それが、たとえば東京の有志が、「Qハイブの建設的改革のための
たたき台の提出」のために作ったamour-qというMLです。このamour-qはその存
在を公開し、たたき台の提出と同時にMLを閉鎖しました。[q-project 4580]、
[q-project 4581]。
しかし、これに対しては、これだけは言っておきたい。このごくごく丁寧な言
い方の背後には、実はへどが出るくらい欺瞞的な態度が潜んでいる、と。
しかし、そのようなたたき台に対しても、西部さんから、以下のような京都オ
フ会議と殆ど同じような至って素っ気ない反応が出されました。
>今年の1月頃から,Qハイブをよりフラットにするためのいろいろな方法が考えら
>れ,実行されてきました。その議論にはみなさんも参加されえれていたはずです。
>
>そうした工夫にもかかわらず,なぜ「階層的」,「抑圧的」であると感じるの
>か。そ
>れは,具体的にはそれはどういう事態を意味しているのか。また,そのように
>なる原
>因はどこにあると考えられているのか。まず,それを説明していだけませんか。
なぜなら、この当時、西部さんは、副代表ら、その他数名の自分と気心が通じ
た者だけで密かに裏ML(その存在を公表しないML)を運営してQ改革(正確に
は、Qアンチ改革)をめぐって討議していたのであり、そのような事実こそ、
自ら常々口にして他のメンバーにも要求してきた「Qハイブは民主的なフラッ
トな組織であり、すべての議論をその公開のMLで行なうべきである」という原
則を自らが踏みにじるものであり、自らが裏で「階層的」,「抑圧的」な行為
をしておきながら、しらを切って、amour-qの人たちに、どこに「階層的」,
「抑圧的」な行為があるのですかそれを証明して下さいなどと口にするのは、
これはもう悪質な詐欺と言われてもしょうがない、ということです。
こうした一連の「階層的」,「抑圧的」な対応を通じて、多くのQ管理運営委
員の目には、もはやQ改革は絶望であること、Qの末期ガン的な症状に起死回
生の治療の望みなどないことが明らかとなり、そこで、多くのQ管理運営委員
が去り、改革に最も熱心だった登記人の人たち、amour-qのメンバーも全員去り
ました。こうして、Qは完璧に死を迎えました。
柳原敏夫氏のQユーザMLへの投稿(2002年12月26日)全文はこちら
また、関井光男氏は12月30日付けの「Re: 情報公開が意味するもの5」([q-project-user 1249])で以下のように述べています。
「裏ML」を読むと、もっとおかしなことが起こっています。この問題はQという組織に内
在している問題です。
それを柳原さんんは指摘しているのです。
関井光男氏のQユーザMLへの投稿(2002年12月30日)全文はこちら
当時も指摘されましたが、「裏ML」の「謀議」が明らかになったため、「多くのQ管理運営委員会員」「amour-q(注9)のメンバー」が「去った」というのは、明らかな虚偽(注10)であり、実際には、NAM内で発生した柄谷行人氏による圧力(注11)によって、多くのメンバーが辞職したものと思われます。また、「Qアンチ改革」がどのようなもので、どういった行為が行なわれたのかという説明も論証もありません。関井氏の言う「もっとおかしなこと」もついにユーザMLでは説明されませんでした。当時の関連メールとして以下を挙げておきます。
- (注7)摂津正氏によるQ糾弾
攝津正氏(元NAM会員、元Q管理運営委員委員、元Q会員)(注1)参照。
- (注8)「裏ML=反NAMの謀議」というイメージ
その証拠に、攝津正氏は「知りうるかぎりの情報」をQ会員、非Q会員(つまり全世界の全人類に!)に知らせると述べていますが、本MLからの引用そのものは断片的で量的にもあまりにも少ないものです。ですから攝津正氏は「裏ML」の公開を要求せざるをえません。しかし、本MLの数パーセントにしかならない文言によって、攝津正氏はすでに「裏ML=反NAMの謀議」を断定しています。そこでは、本MLの公開によって考え検討するという姿勢は微塵もなく、公開そのものはついでの要求にすぎないのです。攝津正氏の独創はかろうじて「Q会員、非Q会員に一斉同報メールを送信した」ということで、内容的には、前述の柳原敏夫氏らによるレッテル貼りの完全なコピーと言えます。
- (注9)amour-q
amour-qは、2003年9月に柳原敏夫氏、攝津正氏らによって結成された「Q改革」を謳った任意の集団です。当時のQプロジェクトによって正式に要請されたわけでも、承認されたわけでもありません。そういう意味では柳原敏夫氏の前述のメール内の「この当時、西部さんは、副代表ら、その他数名の自分と気心が通じた者だけで」等という文面は、「この当時、柳原氏は、攝津氏ら、その他数名の自分と気心が通じた者だけで」と置換できます。amour-qの実態をそのまま無意識のうちに柳原敏夫氏が「裏ML」と呼ぶものに転化したという可能性もあるでしょう。
前述の柳原敏夫氏のメールにあるamour-qについての記述:
・・・
のような京都オフ会議に参加した人たち(登記人の人たち、東京から参加した
人たち)を中心に、瀕死の重傷にあるQの改革をめざして、必死の努力が始ま
りました。それが、たとえば東京の有志が、「Qハイブの建設的改革のための
たたき台の提出」のために作ったamour-qというMLです。このamour-qはその存
在を公開し、たたき台の提出と同時にMLを閉鎖しました。[q-project 4580]、
[q-project 4581]。
この部分だけから見ても、amour-qは「東京の有志」によって「Q改革」のために作られ、「有志」の討議が行なわれたMLも公開されないまま閉鎖されたということは読み取れるでしょう。しかし、これ以上の議論はここでは行ないません。また別の機会に譲ることにします。
- (注10)明らかな虚偽
2003年1月20日の杉原正浩氏(元NAM会員、元Q管理運営委員会委員、現Q会員)のQユーザMLへの投稿を参照。
「裏ML」とやらの存在と「Q改革」とやらの挫折とには、時期的にいっても
因果関係はないと思います。
杉原正浩氏のQユーザMLへの投稿(2003年1月20日)全文はこちら
また、本編に続く、「lets_thinkメーリングリストの時系列分析」を参照。
- (注11)柄谷行人氏による圧力
このことに関連する情報は、攝津正氏が運営する掲示板「NAM資産管理委員会の定款を考える会」に以下のように記載があります。文面中「Q-hive」と呼ばれているのは、「Qハイブ」「Q管理運営委員会」のことです。
No.93 NAM、MAN的な、余りにMAN的な 攝津正( femmelets ) 2003/09/2315:49
当時柄谷行人氏は何人ものNAM会員に私信を送り、Q-hiveを直ちに辞めよ、さもな
くば「絶交」する、NAMに残ることも許さない、と通告していた。「柄谷行人」氏に
感情転移している「倒錯者」であることを自認し公言していた私に、尊敬の対象であ
る「柄谷行人」氏から個別に圧力を掛けられたら、 抵抗できないのは自明であっ
た。
攝津正氏の掲示板(2003年9月23日)全文はこちら
また
No.138「NAM、MAN的な、余りにMAN的な・その3」攝津正( femmelets )2003/10/07 02:52
さらにわたしに私信を送ってQ-hiveを辞めるよう圧力を掛けてきたこと。
柄谷さんに感情転移している「倒錯者」であることを公言していた
わたしに、尊敬の対象である柄谷さんから個別に圧力を掛けられたら、
心理的に抵抗できないのは自明。しかし、そのような感情的なもつれ、
指導者崇拝をこそNAMの組織原則は廃棄しようとしていたのでは?
最後の最後に、「柄谷行人」のプレザンスの枠内での閉じた社会運動
であるという実態が露わになってしまった。柄谷さんがあからさまに
その傾向を促進した。
わたしは柄谷さんからの私信を読んだ瞬間、ショックで職場で
泣き出してしまったのを覚えています。飛弾さんから電話が
掛かって、「いま柄谷さんから大変なメールが…」と絶句して泣くこと
しか出来なかった。そんなわたしを職場の人たちは気の毒そうな目で
見ていました。
攝津正氏の掲示板(2003年10月7日)全文はこちら
攝津正氏の文章は、全般的に事実検証の配慮がなされていません。氏が論理的に語るよりも情動的に語ることを好まれているからですが、ここで「当時」という時期確定についての論考を付記しておきたいと思います。No.93の掲示板を対象にします。
攝津正氏は、No.93の前述の文に続けて以下のように述べています。
私は、抜本的改革委員会を皮肉って「抜本的退職委員会」というジョークを飛ばし、
そして後で鎌田哲哉氏などから非難されたように「超規約的措置」を提案してNAM会
員であるQ管理運営委員の多くを(或る人の言によれば)沈み行く「泥船」であった
Q-hiveから脱出させた。しかし、自分自身はQ-hiveに残って、残務処理をし、可能な
らば解散までを担うつもりでいた。しかし、柄谷行人氏個人からの圧力による心理的
疲弊に加え、或る晩QユーザーMLで、関井光男氏、山住勝広氏などの学者らがQ-hive
を詐欺で告訴するというメールを立て続けに投稿したことにショックを受け、神経的
に堪えきれなくなって、Q-hiveに悲鳴のような辞任届のメールを送った。すると直後
にQ幹部・宮地剛、穂積一平が、結局NAMの連中は誰一人責任を取らなかった、と勝ち
誇ったように宣言して私をMLから即座に抹殺した。そのときの悔しさは生涯忘れるこ
とがないだろう。
ふたつの引用から関連事項を抜き出すと、
- 柄谷行人氏によるQハイブのNAM会員に対する通告。
「Q-hiveを直ちに辞めよ、さもなくば「絶交」する、NAMに残ることも許さない」
- 「超規約的措置」を提案してNAM会員であるQ管理運営委員の多くを・・・Q-hiveから脱出させた。
- 或る晩QユーザーMLで、関井光男氏、山住勝広氏などの学者らがQ-hiveを詐欺で告訴するというメールを立て続けに投稿したことにショックを受け、神経的に堪えきれなくなって、Q-hiveに悲鳴のような辞任届のメールを送った。
上記のうち3は、2002年11月28日に関井光男氏、山住勝広氏のメールがQユーザMLに投稿されています(注5参照)。したがって、うえの1および2は、11月28日以前と考えられます。攝津正氏自身のQ管理運営委員会の辞任は、11月28日発信のメールで意思表示が行なわれています。
Q管理運営委員会の辞任者のリストを上げ検証することにします。(注6)であげた12月29日付けの柳原敏夫氏のメール「情報公開が意味するものについて――Qは二度死ななければならない――」(柳原敏夫氏のQユーザMLへの投稿(2002年12月29日)全文はこちら)にリストがあるのでそれを利用することにします。
柳原敏夫氏のメール:
しかし、私が着目せざるを得ないことは、と同時に、こうしたQの栄光・苦
闘・理想を背負ってきた登記人を始めとする多くのQ管理運営委員の人たちがこ
の1年間に次々とQハイブを去っていったことです。それを列挙すればざっと次
のようになります(氏名はイニシャルで略称)。
01年 O[q-project 007]
K
02年 W(登記人)[q-project 1490]
T[q-project 3105]
F[q-project 4247]
K[q-project 5052]
F(元登記人)[q-project 5237]
G(登記人)[q-project 5460]
I(登記人)[q-project 5467]
N(登記人)[q-project 5469]
N[q-project 5600]
K[q-project 5797]
F[q-project 5801]
W[q-project 5805]
T[q-project 5814]
H[q-project 5829]
N[q-project 5833]
H[q-project 5838]
A[q-project 5905]
S[q-project 5990]
N[q-project 6036]
S(登記人)[q-project 6093]
T[q-project 6205]
ここで重要なのはこの柳原敏夫氏のメールは情報の解釈を意図的に歪曲して行なっている可能性が高く、「1年間で次々と」というのも、虚偽とはいえないまでも、きわめて不十分、ないしは歪んだ言い回しというべきです。このことは、上記Q管理運営委員会の辞任者のメールとその日付を並べれば一目瞭然となります。「1年間で次々」というイメージは、一般的には1年間を通じてコンスタントに、毎月何人という具合に継続して、辞任者が発生したというものでしょう。また、そういう事態が発生しているかぎりにおいて柳原敏夫氏の言うように、「西部さんら代表グループ」による「抑圧」がQ管理運営委員会の辞任者を生み出した可能性を示唆することはできます。これとてもあくまで「示唆」にすぎませんが、しかし実態は以下のようなものです。なお、柳原敏夫氏が列挙しているメーリングリストの番号とその内容についてはチェックをしました。確かに、該当の各メールで辞意が表明されています。
柳原敏夫氏のメールの情報に日付を追加:
01年
2001.11.28 O [q-project 007]
K
02年
2002.2.11 W(登記人) [q-project 1490]
2002.5.13 T [q-project 3105]
2002.8.22 F [q-project 4247]
2002.10.1 K [q-project 5052]
2002.10.11 F(元登記人)[q-project 5237]
2002.10.26 G(登記人) [q-project 5460]
2002.10.27 I(登記人) [q-project 5467]
2002.10.31 N(登記人) [q-project 5469]
2002.11.4 N [q-project 5600]
2002.11.19 K [q-project 5797]
2002.11.20 F [q-project 5801]
2002.11.20 W [q-project 5805]
2002.11.23 T [q-project 5814]
2002.11.22 H [q-project 5829]
2002.11.22 N [q-project 5833]
2002.11.25 H [q-project 5838]
2002.11.24 A [q-project 5905]
2002.11.28 S [q-project 5990]
2002.12.17 N [q-project 6036]
2002.12.5 S(登記人) [q-project 6093]
2002.12.14 T [q-project 6205]
見ればはっきりとわかるように、2002年12月までの辞任者22人のうち、9人が11月19日から11月28日までの間に集中しています。約半数がこの時期に辞任したということです。12月を含めれば12人50%以上になります。
これが2で攝津氏がいう、「超規約的措置」を提案してNAM会員であるQ管理運営委員の多くを・・・Q-hiveから脱出させた、に該当するものです。
参考のため2002年11月のカレンダを掲載しておきます。
2002年11月
日 月 火 水 木 金 土
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16 <-- 攝津正氏のいう柄谷行人氏の通告はこの週か?
17 18 19 20 21 22 23 <--この間に9人が辞任
24 25 26 27 28 29 30
| |
| 柄谷行人氏のNAMイベントへの投稿
|
最初の「会費返還・告訴」メールがQユーザMLに投稿される。
攝津正氏の告白が正しければ、これら一連の事態が、1の柄谷行人氏による通告、おそらくは、11月の第3週目ぐらいにおこなわれたものを直接の原因としていると考えることができます。
なお、柳原敏夫氏のQ管理運営委員会辞任者と、旧代表グループ(西部・宮地・穂積)による「策謀」説との時期的関連性については、当時のユーザMLにおいて反論が行なわれています。
(注4)にあるリンク[q-project-user 1243]Re: 情報公開が意味するものについて4(12月29日)を参照。
ちなみにこのメールに対する反論ないし異論も柳原敏夫氏は述べていません。
lets_thinkメーリングリストの時系列分析
以下で行なうのは、メーリングリストlets_thinkの形式的分析です。一部例外を除いて、基本的には書かれている内容には踏み込みません。本ML公開の意図は、メーリングリスト内での発言の正否をただすことではなく、公開によってその判断を各自に委ねるものです。しかし、形式的側面からの一定の分析を加えることで、なんらかの理解の助けになると考え、本論を追加することにしました。(以下、敬称は省略します)
メンバー構成
- 逵健志、中島秀樹、穂積一平、宮地剛、木場聡子、西部忠の六名で構成。
- うち西部忠は、2002.9.7から参加(0069)。他のメンバーは、2002.9.1のML開設時のメンバー。
- 西部忠のメールが2002.9.1にあるのは以下に述べる理由によるものです。
なお、2002年9月1日現在での各自のポジションは、
- 逵健志:Q管理運営委員会員、Q開発部所属、非NAM会員
- 中島秀樹:Q管理運営委員会員、Q開発部所属、NAM会員
- 穂積一平:Q管理運営委員会員、Q副代表、NAM賛助会員
- 宮地剛:Q管理運営委員会員、Q副代表、NAM賛助会員
- 木場聡子:Q管理運営委員会員、Q開発部所属、NAM会員(9/12退会、約半年在籍)
- 西部忠:Q管理運営委員会員、Q代表、NAM会員(この前後でNAM退会)
メーリングリストの構成
- MLは0023から始まる。
- 日付との関係は、
- メールの内訳(発信者、表題、ML番号)
ここをクリック
データの分類(ML分のみ、最後の2通は省く)
発信者 最初のメール 最後のメール 総件数
------ ------------ ------------ ------
木場聡子 2002.9.1 2002.9.13 12通
逵健志 2002.9.1 2002.9.14 7通
宮地剛 2002.9.1 2002.9.11 18通
穂積一平 2002.9.1 2002.9.11 23通
西部忠 2002.9.10 2002.9.16 7通
中島秀樹 2002.9.2 2002.9.16 2通
------
69通
MLの全メールの件数と全体における比率
2002.9.1 22通 24% (DM転送分)
2002.9.1 16通 17% ****************
2002.9.2 7通 8% *******
2002.9.4 7通 8% *******
2002.9.5 2通 2% **
2002.9.6 5通 5% *****
2002.9.7 7通 8% *******
2002.9.8 6通 6% ******
2002.9.10 3通 3% ***
2002.9.11 8通 9% ********
2002.9.12 2通 2% **
2002.9.13 3通 3% ***
2002.9.14 1通 1% *
2002.9.16 2通 2% **
2002.10.3 1通 1% *
2002.10.4 1通 1% *
-----------------------------------------
93通
以上から言えることは、
- メールは9月1日ピークにして9月10日以降は漸減。DM分を含めれば9月1日のメールは41%に及ぶ。
- 西部忠は当時イタリアにおり、9月7日からMLに参加、最初の発信は9月10日である。したがって、実質的には、ML参加メンバーとのメールのやり取りはごくわずかで、すれ違いというのが実態である。9月11日に「専従制」「多重帰属」について意見が交換されているだけ。
- 旧代表グループ(この名称そのものがある種の心的傾向を表すにすぎない)と呼ばれている「西部・宮地・穂積」のメールでは、宮地・穂積は9月11日を最後にメールをMLに送っていない。
- Qとの関わりで重要なのは、以下の2つだけといっていい。ここでいう関わりとは、その後、Q運営の上で実際の出来事として発生した事柄を指す。単なる意見や愚痴、個人的な現状分析、認識は含まない。
- DMの転送分0002(2002年9月1日)で宮地剛は
=メール==================
1)副代表の辞任。
2)会計部・出納人・審査部などすべての業務担当の期限付き交代。
3)新代表への立候補の取り消し。
4)専従者立候補の取り消し。
5)宮地名義の三井住友銀行口座の迅速な返却要求。
以上のプランは、つまり早い話、Qハイブを徐々に辞めていくということです。
正式な辞任はいつにするかまだ決めていませんが、9月中には行うつもりです。も
うQハイブでは活動できません。というか、NAMのために働くのはご免です。したがっ
て、西部さん不在時の代表代行も当然出来ません。
=========================
- 同じくDM転送分0015(2002年9月1日)で穂積一平は、
=メール==================
昨日・今日といろいろ考えたというか、頭からずっと離れないので、正直
をいうとすこし参っています。
それで、やはり、以下のことはQの全体MLに出して態度
をはっきりさせておきたいと考えています。
1)登記人はやらない
2)副代表は辞任
3)代表代行は辞退
Qハイブそのものをやめるのは、しばらく見合わせようと思います。
みなさんいろいろお考えもあると思いますが、ぼくは正直、今回
のようなことはうんざりで、嫌気がさしています。
=========================
このふたつは事実上、Qの副代表辞任という形で実現しています。
- 2002年10月1日、穂積の副代表辞任メールはこちら
- 2002年10月6日、宮地の副代表辞任メールはこちら
おわりに
本メーリングリストを公開するにあたって、参加者の各位には了承をいただきました。とくに木場聡子氏と逵健志氏、西部忠氏には、あらためてご理解とご協力を感謝いたします。中島秀樹氏には連絡をとりましたが回答がありませんでした。同氏のメールは2通だけであり、1通は短いテスト的なもので、実質は1通だけです。さしたる問題はないと考え公開することにしました。メーリングリストの本文に直接あたっていただければわかりますが、「西部・宮地・穂積」とその他のML参加者を区別する絶対的な根拠というのはどこにもありません。むしろ、木場氏、逵氏とも「西部・宮地・穂積」にある種の共感を示しておられます。この共感は、決して本メーリングリスト参加者にだけ固有のものではありませんでした。Qプロジェクトの昨年の9月分のメールを読めばわかりますが、何人かの方は同種の意見を述べておられ、そういう雰囲気のなかでの木場氏、逵氏の発言であるということも追記しておきます。わたしが時系列の簡単な分析を行なったのは、本メーリングリストが9月16日で終了しており、露骨に当時の雰囲気を反映している、ということを理解するために、ぜひ必要だと考えたためです。
この場を借りて、2003年9月以降のQとNAMの紛糾なるものがなんであったのか、私見を述べておきたいと思います。非常に単純化していうと、昨年のQとNAMの紛糾というのは、8月29日の京都オフ会で勢いづいたQ=NAMメンバーが、彼らが主張する「よりNAM的なQ」を目指して「Q改革」をしようとして頑張っていたのに、ご本体のNAMがおかしなことになって、いつのまにか「Q改革」などをやっているひとたちそのものが「反NAM」的と断罪されかねなくなり、せっかく苦労して、2階に上がったのに気付いてみれば梯子をはずされて、あたふたとした、ということです。それで苦し紛れにとにかく誰かを「悪者」に仕立て上げなければならないので、旧代表グループなるものを捏造し、これ幸いとlets_thinkメーリングリストを「策謀」の根拠として、ひと騒ぎやらかした、というものでしょう。これ以上のことは当時「Q改革」を推進していたひとたちが、自らなにによってどういうふうに活動し、どういう意図で、またどういう人的な連携のなかで行動していたのかを率直に語る以外にわかりようはありません。自分自身の声と言葉で、つまり「Qを粉砕しろ」とか「西部・穂積・宮地の横暴を許すな」などというアジテーションにもならない自己満足の痙攣的な発話行為ではなく、背丈にあった言葉で語れば、おのずと現われでるものがあるのではないか、とわたしは考えています。
そもそも、いつまでも「西部・宮地・穂積」をセットにして語らなければならないのか、この作為が疑わしいものであることは言うを待ちません。つまり、lets_thinkメーリングリストはこの3人以外の参加者がいたし、昨年12月に改めて代表を選んで発足したQ管理運営委員会も、この3人以外のたくさんのひと(数を言えば10人以上)の協力によって成り立っています。ちなみにわたしは今年の2月からQ管理運営委員会員ではありませんが、当時から現在まで、Q管理運営委員会を構成しておられる方々が事態を冷静に判断し対処していることには勇気づけられます。デマゴーグのデマゴーグたるゆえんは、一種のサブリミナル効果をねらって、短絡的で激しいことばを投げつけるということです。宮地氏が「政治的道具化」と呼んでいるものがこれです。
メーリングリストを読むには以下をクリックしてください。
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after-that.net 2003.11.25
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