言葉と運動(一)

‐NAMとはなにだったのか‐

宮地剛


1.
 NAMとはなにだったのか、と問うことにどれほどの意味があるのだろうか。おそらく、この国の社会運動史や左翼史にひと掻きほどの痕跡すら残さないままに破産したこの運動に、歴史的な意義などがあるはずもない。だから客観的に見れば、NAMとはなにだったのかという問いには「何事でもなかった」と答えるしかないだろう。しかしNAMを会員として経験したものが、そういった客観的な立場にたつことはできないし、また「もう過ぎ去ったこと、何事でもなかった」という取り澄ました呟きとともに捏造された客観性に立つことは不当なことだ。なぜならNAMが具体的な活動をほとんど何も生み出さない虚しい空騒ぎであったとしたら、その空虚さの多くは、NAMに参加していたひとりひとりの会員の自らの空虚さを反映していたにすぎないからだ。また、たとえNAMの最期が実質的な代表=象徴であった「柄谷行人」の専横によってその幕を閉じたとしても、それがひとり「柄谷行人」の責任であるというわけでもあるまい。「柄谷行人」に積極的に追従した少数の幹部たちは別にして、物言わなかった大半の一般会員が、自分たちの知らないうちにNAMを奪われてしまった「被害者」であるとは主張することはできないだろう。なぜなら、少なくともNAMという組織は民主的な体裁を整えていたのだから、その一方的な解散決定に、NAM会員のひとりひとりは何らかの異議を発することは可能だったからだ。そして一方的なNAM解散通告に抗議し、自分たちでNAMを維持していくという選択もできたはずだ。無論それは新しいNAMになるだろうが、NAM存続の道が皆無であったというわけではない。しかし、そういった声はまるであがらなかった。そのような局面における沈黙は、暗黙の肯定であり消極的な加担でしかない。この沈黙による肯定によって、解散の決定は「すでに決められてしまったこと」であるかのように受け入れられてしまったのだが、だから、なぜNAMが解散したのか、という問いも、なぜ自分が抗議の声を上げなかったのか、という問いを含むほかない。したがって、NAMを経験したものにとって、NAMとはなにだったのか、という問いを発することは、NAMにおける自らのあり様を問い直すことだ。

 問いは自分自身に向けて発しなければならない。けれど、それは自らの内面を省みるということではない。そんなことをしても空々しい懺悔の言葉が垂れ流されるだけだ。 であるならば、NAMとはなにだったのかという問いを自らに問うとは、NAMの中に会員としているということが、どのような組織的な構造あるいは不可視の言語的な構造のなかに身を置くことだったかを問い直すことに他ならない。問うべきは自意識にではなく、卑小な自意識など無効にする構造である。その問いはいわばNAMという組織の<社会性>を問うことでもあるのだが、そのためにはまず、NAMに参加するということはどういうことだったか、というところからはじめなければならない。しかしそのまえに、まず社会運動とはどのようなものなのか、そこに参加するとはどのようなことなのかを簡単に見ておこう。

 社会運動をここでは、市民が、自分の住んでいる社会を改善するために行う運動と考えておく。そこに参加する人々の直接の動機は、それぞれ個人的なものであっても、そこには「少しでも社会を良くしたい」という倫理的な思いが底流しているだろう。しかし、ここで問題になるのは「少しでも良くしたい」対象となる社会のあり方である。わたしたちは、「総体としての社会」がどのように成り立っているのかを実は知ることができない。なぜなら社会の構造は余りに複雑に幾層にも重なり絡み合い混沌としており、どのような分析力をもってしても、社会全体を一元的なシステムとして捉えることは不可能だからだ。わたしたちにできることは、ある立場にたち、ある種の方法で、社会を「構造」や「システム」として読みとることだけだ。だから無数の立場、無数の方法によって、社会は「無数の社会像」としてわたしたちに訪れるのだが、そのような態度は、一元化不可能な社会のあり方を対象として構成し直し、その中に問題機制を発見することに他ならない。わたしたちはそのようにしてしか<社会>を知ることができない。そして、そのように見出された<社会>は現実の社会そのものではない。それは現実の社会から抽出され構成された「問題としての社会」という言語化された〈社会像〉である。それらは多くの場合、理論や理念としてわたしたちに示されるのだが、こうしてわたしたちの眼前には無数の「問題としての社会」が開示される。社会運動とは、そのように発見され構成された「問題としての社会」が規定する〈社会像〉の中の「問題」を対象とした運動であるしかない。そして、わたしたちはこの〈社会像〉と「問題」を変革の対象として自らも共有することで、社会運動に参加しえるのだ。このように考えると、社会運動を運動として成立させているのは、変革対象となる「問題としての社会」の構成と参加者による〈社会像〉と「問題」の共有という二つの要因であることが理解できる。しかし、この二つの要因は、実はひそかに、社会運動の内部に常にある困難さを内包させてしまう。その困難さとは、まず「問題としての社会」の構成に関して言えば、それが実際の社会の問題点を的確に捉えているかという点である。もし問題の構成化が、現実の問題点とずれていたり把握が弱かったりすると、運動は現実の社会とまるで無関係なところでのものとなってしまう。言い換えると、構成された「問題としての社会」が、現実社会の問題点を的確に把握していて初めて、社会運動は現実の社会に接合できるのだ。次に、問題点の共有についてだが、運動に参加している人々の間で、本当に問題点が共有されているかどうかは、だれにも実際にはわからない。というより、本来、問題の<完全な共有>は不可能だといってよいだろう。なぜなら、「問題としての社会」という構成は、先に見たように理論や理念として言語化されており、それらが言葉で書かれたり語られたりする限り、常に<誤読>されていると考えるほうが妥当だからだ。言葉の意味を、たとえ数人といえども、完全にひとつの意味に同定することは、それが数学的な方程式でもない限り不可能である。こうして「問題としての社会」は常に<誤読>されることによって、参加者間に理解の差異を生み出してしまう。この「問題としての社会」に対しての参加者の理解の差異は、しかし運動における意思決定の場で、内部対立など引き起こしてしまうだろう。右に行くか左に行くかといった時、差異は、「問題としての社会」という対象自体の根拠をつきくづすだろう。こういった困難さは、言葉とコミュニケーションにかかわる<社会的>な困難さであるが、どのような社会運動も、運動体自体がひとつの社会性をおびた組織・集団である限り、この困難さから免れることはできないのだ。

 そしてもうひとつ重要な〈困難〉を付け加えるなら、いかなる社会運動も、社会の外部には出れないということだ。それは、社会運動事態が、ひとつの社会的な集団を形成するだけでなく、対象とする社会の様相が社会運動の〈社会性〉にそのまま反映されてしまうということだ。もし社会に病理が含まれているならば、社会運動もその病理からは無縁ではありえない。それならば、社会運動は、自らが形成する〈社会〉をも常に変革の対象としなければいけないだろう。

 さて、わたしたちは社会運動とはどのようなものなのか、そこに参加するとはどのようなことなのかを簡単にではあるが見てきた。そこで得たものは、社会運動が、社会そのものではなく、社会から抽出された「問題としての社会」を変革の対象とすること、そして参加者はその対象を共有することで運動に参加できるという認識である。そして「問題としての社会」という枠組みが理論や理念として語られる限り、それは社会的現実との接続性が問われざるを得ず、また常に〈誤読〉という参加者間での理解の差異を運動体の内部にはらんでしまうという「困難」を知ることもできた。そして付け加えるなら、そのような「問題としての社会」という枠組みが理論や理念として掲げられても、実際の運動は、それらとは違う現実を作ってしまうということに留意しなければならない。

 ここでわたしたちはようやく、NAMに参加するとはどういうことなのか、を問うことができるようになったといってよい。それならば、次にわたしたちが向かうのは、「NAM原理」という書物を読むことである。なぜなら、「NAM原理」にのみ、NAMという社会運動が持ちえた「問題としての社会」という問題機制が描かれており、NAMに参加するとはその「問題」を共有することだからである。

(つづく)


after-that.net 2003.12.3