その後の意見─2003年11月14日以降

穂積一平

「その後の意見」について


 本サイトは、lets_thinkメーリングリストの公開とそれに関連する意見を公表する場としてもうけられた。サイトの準備ができていなかったため、「lets_thinkメーリングリストの公開」そのものは宮地剛氏のサイトを借りて先行して行なったが、今回、すべてを本サイトに移管させた。
 「lets_thinkメーリングリストの公開」は、昨年(2002年)8月29日の京都オフ会以降のQ−NAMの出来事に対する、Qプロジェクトのホームページでの「京都オフ会議事録」の公開をのぞけば、おそらくは最初の意見の公開である。単発的、断片的に掲示板や一部のメーリングリスト等では語られていたかもしれないが、まとまったものとしてはなにもなかったと言っていいだろう。
 「その後の意見」という表題は、2003年11月14日以後の、意見・感想・見解という意味で命名した。2003年11月14日というのは、同年9月14日に開始された攝津正氏の「一斉同報メール」による「Q破壊・旧Q幹部誹謗」等がいちおう終結したらしい、その後、開始されたということを表している。(本サイトの準備作業は、そのすこしまえから開始していた。)

 具体的な理由、根拠はそのつど書いていくつもりだが、ようするに、わたしはここで、いわゆるNAMの問題、Q−NAM問題をできるだけ広い視野のもとに取り上げ、問題を深化させたいと考えている。(注1)

 おおよその経緯を知りたい方は、Qプロジェクトのサイトで公開されている2002年8月29日の京都南無庵における「オフ会議(通称京都オフ会)」の議事録、および、鎌田哲哉氏による分析、ならびに本サイトで公開している「lets_thinkメーリングリストの公開」を通読してほしい。いずれも本サイトのメニューに該当ページへのリンク等を用意している。

 わたし自身は、2001年1月からNAMに参加した。同年の2月、3月頃、当時NAMプロジェクトと呼ばれた、現在、地域通貨Qを運営している、Qプロジェクトの前身に参加し、NAMを2003年9月に退会したが、その後も地域通貨Qには参加している。

 NAMとはなんであったのか。ひと言でいえば「NAMとはメーリングリストの束」であった、というのが一番当たり外れの少ない解答だと言える。そのメーリングリストではなにが討議されていたのか、おそらく、そんなことはいまさら詮索しても仕方がないというようなことが討議されていた、という可能性が高い。もちろん個別の参加者がそれなりに真剣であったとしても、である。(注2)

 いずれにしても全体を視野に収めてなにごとかを言うというのは、現時点では不可能だろうし、わたし自身あまり興味がない。それでも、ここで「その後の意見」をホームページ上で公開しようと考えたのは、きっかけとしては攝津正氏の「一斉同報メール」があったためである。これがなければ、わざわざこんなことはしていないと断言できる。
 わたしの希望は、これを単なる「きっかけ」に終わらせることなく、またNAMが全くなかったもののごとく扱われるということもないように、それなりの意見を残しておきたいということにつきる。だから、ほんとうはNAMそのものにもっと深くコミットしていた人たちが行なったほうがいいのだが、そんなことは今後何十年待っても誰もやらないだろうし、やったとしても「NAMはすばらしかった、可能性があった」等々のお追従しかでてこない、という気がする。なにごとにも「可能性」はあるのだから、「可能性」がなかったとは言わないけれども。

 「その後の意見」は、雑感風にときどきに思いつくことを書いていく。NAMやQ、攝津正氏、「一斉同報メール」等については、これだけでは部外者には皆目わからないと思われるので、そのつどある程度の注記・説明は行なう。ただ、わたしはNAMやQの年表を作成するつもりはないので、親切な解説を提供する、というわけにはいかない。興味のある方は各自で調べるしかない。

 なお、場合によっては「意見」を他の方に依頼して載せる場合がある。また、話題もQやNAMに収まりきらないケースもありうる。


(注1)
 「基本的フレームワーク」として別稿を用意する。

(注2)
 「いまさら詮索しても仕方がない」とはいえ、それがそこにあり、そこでなにごとかを言い、なにごとかをなそうとしていた、という事実までも否定するわけにはいかない。可能性(希望、夢等々・・・)、あるいは不可能性(挫折、困難、あるいは最初からうまく行かないのはわかっていた、言っても仕方がない等々・・・)をも含めて、なにごともなかったというわけにはいかない。


after-that.net 2003.11.28