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「その後の意見」について
本サイトは、lets_thinkメーリングリストの公開とそれに関連する意見を公表する場としてもうけられた。サイトの準備ができていなかったため、「lets_thinkメーリングリストの公開」そのものは宮地剛氏のサイトを借りて先行して行なったが、今回、すべてを本サイトに移管させた。
具体的な理由、根拠はそのつど書いていくつもりだが、ようするに、わたしはここで、いわゆるNAMの問題、Q−NAM問題をできるだけ広い視野のもとに取り上げ、問題を深化させたいと考えている。(注1) おおよその経緯を知りたい方は、Qプロジェクトのサイトで公開されている2002年8月29日の京都南無庵における「オフ会議(通称京都オフ会)」の議事録、および、鎌田哲哉氏による分析、ならびに本サイトで公開している「lets_thinkメーリングリストの公開」を通読してほしい。いずれも本サイトのメニューに該当ページへのリンク等を用意している。 わたし自身は、2001年1月からNAMに参加した。同年の2月、3月頃、当時NAMプロジェクトと呼ばれた、現在、地域通貨Qを運営している、Qプロジェクトの前身に参加し、NAMを2003年9月に退会したが、その後も地域通貨Qには参加している。 NAMとはなんであったのか。ひと言でいえば「NAMとはメーリングリストの束」であった、というのが一番当たり外れの少ない解答だと言える。そのメーリングリストではなにが討議されていたのか、おそらく、そんなことはいまさら詮索しても仕方がないというようなことが討議されていた、という可能性が高い。もちろん個別の参加者がそれなりに真剣であったとしても、である。(注2)
いずれにしても全体を視野に収めてなにごとかを言うというのは、現時点では不可能だろうし、わたし自身あまり興味がない。それでも、ここで「その後の意見」をホームページ上で公開しようと考えたのは、きっかけとしては攝津正氏の「一斉同報メール」があったためである。これがなければ、わざわざこんなことはしていないと断言できる。
「その後の意見」は、雑感風にときどきに思いつくことを書いていく。NAMやQ、攝津正氏、「一斉同報メール」等については、これだけでは部外者には皆目わからないと思われるので、そのつどある程度の注記・説明は行なう。ただ、わたしはNAMやQの年表を作成するつもりはないので、親切な解説を提供する、というわけにはいかない。興味のある方は各自で調べるしかない。 なお、場合によっては「意見」を他の方に依頼して載せる場合がある。また、話題もQやNAMに収まりきらないケースもありうる。
(注1)
(注2)
after-that.net 2003.11.28
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